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専攻医

総長よりメッセージ

相澤総長(静岡高校出身)より医学部をめざす高校生へ

(平成15年10月の静岡高校での講演より)以下の文章は、平成15年10月に相澤総長が母校の静岡高校で、高校1,2年生に対して講演したものを要約、一部加筆したものです。

静岡徳洲会病院 総長 相澤信行

私は、静岡高校88期卒業、今から32年前卒業の相澤です。今日は、まず最初に、自分の辿ってきた経歴をお話し、その後、医師になるためにはどうするか、医師の職業はどんなものか、医師という職業の素晴らしさをお話し、時間があれば医療の問題点とこれからの医療のすすむ方向についてお話したいと思います。

皆さんと同じ10代のころは、私は医師になるとは全く思っていませんでした。ただ、何となく数学と物理が好きだったので、理科系かと考えていました。何をやりたいかはっきりしないまま、とにかく理系ということで東大の理科一類に入学しました。東大の理科一類の良いところは、専門を決めるのが大学入学1年半後でよいこと でした。

東大に入るときにはとてもたくさんの勉強をしました。その頃の東大の受験は2次試験まであり、受験科目は国語、数学、英語のほか、理科2科目、社会2科目でした。1次試験は、今の共通一次試験と同じようなものではないかと思います。そのころは、高校から帰宅してから、勉強を8時間はしていました。

東大に入ったあと、特に将来のことを考えることもなく、過ごしてしまいました。東大は、いいところです。2年間の教養過程のあと、工学部応用物理学に進学しました。コンピュータ関係を扱う当時の花形産業を担う分野でした。あとで、長崎大学に入ってよく認識したのですが、研究をするなら是非、いわゆる有名大学がいいのではないかと思います。その当時も東大が大学予算の1割を持ってゆき、さらにその1割が工学部に来るといわれていました。工学部の実験でも1回に5万円くらいを使ってしまうような実験を毎週のようにやっていました。

東大に入ってから1人旅はよくしていました。特に冬の北海道は3年間に5回行きました。その冬の北海道で、いろいろな人とユースホステルで会いました。漁師の家に泊めてもらい、一緒に漁を手伝ったこともありました。冬の北海道で出会う多くの人は、人生を考えたいと言う人が多かったようでした。そんな人達に感化されて、僕自身も自分の人生を考えるようになりました。

いろいろな人生観を持った人達と話をするにつれ、いろいろなことがわかってきました。一番最初に気づいたのが、どんなことをしても生きていけるということです。次にでは、何をするか、と考え、自分が工学部にいたらどうなるかを考えました。きっと、企業の研究室に入り、何か新しいものを作る。それは、きっと楽しいことだとは思いましたが、自分が作りたいものを作るのではなくて、会社側からいわれた物を作る、つまり、何をしても企業のための仕事になるような気がしました。あるいは、会社から命令されれば、イヤな仕事でもしなければならない。辛い仕事をしているときに、会社のために働くのでは、やっていけないかもしれない、等と考えると、自分の仕事は直接人のためになることをしたい、そうすれば、どんなに辛い状況になっても、頑張れるかもしれない、と考えました。そこで、医師になろうと考えたのです。医者になって、無医村に行って、人を助けたいと思うようになりました。

医師になろうと、決心したのは東大の3年生の冬休みの冬の北海道のときでした。人生の目標ができると、また、がんばれるものです。まず、医学部をどこにするか? 研究者になるのではなくて、医者にさえなればよいのだから、有名大学でなくてもいいだろう、私立はとてもお金がかかるので無理、国立の中で比較的入りやすそうなところ、で選んだのが長崎大学でした。医学の発祥の地ということもちょっと魅力でした。出願するために書類を揃えるために、静岡高校に来て、成績証明書をもらいにくるなど、いろいろな手続きがすべて終了したのが、2月8日。願書が2月10日必着でしたから、ぎりぎりのところで、願書を出せました。願書を出した帰りに受験参考書を買いました。受験に関しては、何をしたらよいかわかっていたので、とても効率良く勉強が出来たように思います。この日から毎日16時間の勉強です。社会は世界史を選びました。教科書をもう一度読み返しながら、自分で年表を作りながら覚えていきました。それでも間にあわず、第2次世界大戦の部分を読み始めたのは、長崎に受験に行くために乗った寝台特急さくらの中でした。

医師になるには、医学部を卒業し、医師国家試験を受験し、これに合格したあと、2年間の臨床研修が必修です。良い医師になるためにはどこの医学部が良いかというより、どこで研修したかのほうが大切です。良い医師になるためには、良い研修病院を選ばなくてはならず、そのためには、良い研修病院に入るための試験があります。現在は、どこの研修病院にもいけないという事態になることはなく、どこかの研修病院には入れます。

医学部時代はアルバイトをして生活費を稼ぎながら、勉強しました。一人では生きてゆくのが寂しいので、2年終了の時に結婚、4年生終わるころに一人目、6年生が終わるころに二人目の子供が出来ました。医学部の友人達がいろいろな面で支えてくれ、とても感謝しています。

医学部の授業では、もちろん死体の解剖もありました。解剖は半年かけて一人の御遺体をすこしずつ解剖していくのです。毎回御遺体に手をあわせながら、行いました。今でも最初の解剖をした方の顔を忘れてはいません。

医学部を卒業したら、良い医師に早くなりたいと考えました。良い医師になるためには良い研修をしなければならないと考えました。また、良い研修をするには、良い研修病院に行かなければならないとも考えました。ところがその当時、良い研修病院はほとんどなかったのです。そこで、アメリカ式の臨床教育を病院を新しくつくる、ということで茅ケ崎徳洲会病院で研修することに決めました。

茅ケ崎徳洲会病院で、研修医となり、研修が始りました。研修医時代は、3日に1回の当直、朝7時からの回診など、時間的にもとても厳しい研修でした。でもこの厳しい研修があってこそ、良い医師になれるのだと、思っています。

臨床研修病院で2年間研修しても、まだまだ一人前の医師とは言えず、更に研修が続きます。多くの病院では、5,6年目以上でようやく一人前と見なされることになると思います。外科で手術をするかどうか、どう手術をするかを決め、それが実行できるようになるにはやはり10年位はかかるでしょう。医師は、医学部を卒業してからの研修が大切なのです。

これからの医療の時代は、医師過剰になると予想されています。しかも、皆さんが医師になり一人前になって働くまでに約12,3年かかるわけで、この間に約10万人の医師が誕生することになります。

ですから、これからは、医師免許を持っているだけでなく、腕のいい医師にならなくてはなりません。いまは、何でもできる医師でありながら何かの専門をもつという医師が求められているように思います。病院は、医療サービスをするところで、サービスという点では、他のサービス業、例えば遊園地、ホテルなどと似たところがあります。患者さん、他の業種ではお客様が満足して帰ってもらわなければならないのです。医師は、患者さんが満足して帰るためにはどうしたら良いかを考えなくてはなりません。うまく治すのは、当たり前の時代で、更に満足するにはどうしたら良いか、を考えなくてはならない時代です。

そのようなサービスをするためにも、医師に向いている性格は、頼られることが苦にならない、人を助けるのが好き、人と話すのが好きということではないでしょうか。逆に、医師に向いていない性格は、自分勝手、自分が犠牲になることを嫌う、人と話すのが苦手などではないかと思います。これは、私の独断かもしれません。

医師の仕事は、病院、診療所で働く、開業して働く、海外で働く(日本の医師免許の使える国と使えない国がある)、公務員(公立病院、保健所)になる、厚生労働省(第1種公務員試験(上級試験)は免除)の役人になる、研究者(大学病院、研究所)になる、などがあります。

地域医療という、一般診療と在宅医療をしており、日々患者さんから、ありがとう、と言ってくれることを楽しみに生きています。

本日は、私の経歴と医師になる道筋、これからの医療界のことなどをお話しました。医師というのは良い職業です。でも、良い医師になり、良い医師であり続けるにはとても大変です。でも、それ以上にみあう、患者さんからの感謝の言葉を聞けます。

皆さんも、是非一生懸命に勉強して、良い医師になって下さい。

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