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後期研修医

総長インタビュー

北海道の無医村の医師を目指したことが、総合内科の研修をつくった

(Doctor's Network Vo.45より(一部改定)

全診療科をローテートする研修を受ける必要があると思い、徳洲会を訪ねて入職

高校時代、医師になることはまったく考えていませんでした。理科系が得意だった私は東京大学理科一類に入学し、工学部応用物理部門に進みました。大学時代に冬の北海道を一人で旅し、自分の人生を考え始めました。旅の中で北海道の医師不足を知り、道内の無医村の医師になろうと思ったのです。大学3年生の終わりにその決意を固めて、長崎大学医学部に入り直しました。

無医村の医師になるには全診療科をローテートする研修を受ける必要があると思い、5年生のときからそれが可能な病院を探しました。しかし、そのような病院は当時の日本にはありませんでした。1980年、6年生になったばかりの春休み、私は東京の有名病院を訪問後、徳洲会東京本部を訪ねました。そこには鈴木隆夫・現専務理事がいて「今度茅ケ崎にアメリカ帰りの内科と外科の部長をそろえ、米国式教育もできる病院をつくる。日本にはいい研修病院がないから、一緒に日本一の教育ができる病院をつくろう」と誘われ、茅ヶ崎徳洲会病院(現・茅ヶ崎徳洲会総合病院)に入る決心をしました。

その年の夏、徳洲会大阪本部で面接試験があるというので緊張して行くと、面接はなくて徳田虎雄理事長の話だけでした。「徳洲会は、身も心も救う病院を世界中に建てることを目指している。10万人に1病院が必要だから、世界中に5万病院だ。徳洲会は“世界の厚生省”になる」という夢を聞き、弱者のための医療を目指すその姿に圧倒されました。このときに私の出身が静岡であることを知ると、「静岡に病院を建ててやるから、君はそこの院長だ」と言われましたが、まさかそれが実現するとは思ってもみませんでした。

茅ヶ崎徳洲会病院は80年6月開院、翌年同院に入職して研修が始まりました。1年先輩に、現在、湘南厚木病院の院長でもある篠崎伸明専務理事や湘南鎌倉総合病院の井上裕美副院長がいました。この先輩たちは、研修医になったばかりのわれわれに対して「出来が悪いな」と言いながらも親切に教えてくれました。数年後に茅ヶ崎徳洲会病院の研修はどこがよかったのかを考えたときに、こうした2年生が1年生を教えるシステムではないかと思いました。

1年生にとり2年生以上は全て指導医という“屋根瓦方式”の研修は茅ヶ崎病院が発祥だ

徳洲会は、研修医が主な診療科を回るスーパーローテーション方式を30年以上も実践しています。このシステムは、2004年に厚生労働省が施行した新医師臨床研修制度にも大きく反映され、卒後2年間の初期研修が義務づけられることになりました。徳洲会の研修1年生にとって、2年生以上が全て指導医です。易しいことは2、3年生から、少し難しいことは4、5年生から学びます。指導医は基礎的なこと以外に新しいこと、系統だったことを教えることになり、研修医指導が病院全体でうまく運ぶようになります。このような“屋根瓦方式”は茅ヶ崎徳洲会病院が発祥の地で、私がその宣伝をして多くの徳洲会病院に広めたと自負しています。

徳洲会の研修でもう一ついい点は、朝7時からの回診です。私は医師になって30年、毎朝実践しています。朝に必ず回診することは、患者さんにとってとてもうれしいことのようです。研修医に主治医としての自覚をもたせ、朝の回診時には先頭を歩くように指導しています。患者さんに対してEmpathy(情熱)をもてるようにするためです。

この毎朝の研修医との教育回診は、アメリカ帰りの内科部長から実践を通じて教わりました。患者さんの状態を1分で説明し、指導医に必要な情報を伝えるには、患者さんをよく診察しておかなければなりません。病気のことも深く理解していなければなりません。指導医は、研修医に足りないところがあるとそれを指摘、訂正、追加。わからないところはその場でミニレクチャーすることで、研修医に臨床能力がつくのです。

徳洲会病院の研修の特徴は、医療知識や技術を習得するだけでなく、「生命だけは平等だ」という理念を守る心と、患者さんを断らない実力のある医師を育てることです。病院全体が断らない文化を実践していないと、研修医は断らない文化と医療を学ぶことはできません。

無医村で医療をしようと思って徳洲会病院に入りましたが、やがて一人で無医村の医療をするよりは医療過疎の地域にいい病院を建て、そこに派遣する医師や研修医を育てようと、人生の目的が変わっていきました。

茅ヶ崎徳洲会病院の研修では、いい指導医にも恵まれました。アメリカ帰りの指導医からは、EBM(この言葉が発表されたのは93年)の考え方を初期研修医時代から教わっていました。放射線科の医師は週1回、膠原病・リウマチや感染症の先生は月1回などでしたが、他の病院から来る先生にはべったりとくっつき、疑問点や自分の判断が正しかったかどうかを聞きました。米国人の先生方からは、診断のつけ方(今では当たり前のPOSなどもです)や、研修医の指導方法を教えられました。

茅ヶ崎徳洲会病院では、1年目は内科、外科、小児科、産婦人科に加え夜と日曜祝日の救急でしたが、2年目からは内科に固定されました。内科には研修医の先輩がいなかったので、内科研修医では一番上になりました。内科の中の各科を回るような研修でしたが、どの科を回っているときにも、内視鏡は週2回、心臓カテーテル検査は週1回など、いつも総合内科的な研修内容でした。

断らない医療の実現には、総合内科が内科を支えるようにしなければならない

湘南鎌倉総合病院に勤務していた私が、静岡徳洲会病院の院長になることは内定事項でした。そのため、開院4年前の設計段階から関わり、夢の全てを盛り込みました。静岡は東海地震の想定震源域なので建物は免震構造。井戸水の汲み上げ装置や自家発電システムを設け、停電の際には重油発電に変換可能に。当院は海岸から約100mの距離にあり津波で1階が使用不能になることを考え、救急外来や一般外来などは2階より上に置ました。大勢の被災者が来られたときに対応できるよう、1階の大講堂と2階のリハビリ室には酸素と吸引の配管を整備し緊急時の診療ができるようにもしました。災害に強く、災害時の拠点病院になるようにと考えて設計したのです。

初期・後期の研修医は病院の大きな力です。彼らをいい医師に育てるため病院全体で協力しています。また徳洲会の総合内科医を育成しようと、私と山之上弘樹院長がグループ病院で指導に当たっています。研修医1年生の教育には総合内科医こそが適任で、徳洲会にはその総合内科医が大勢います。

徳洲会グループ以外の病院から、内科崩壊の噂が聞こえてきます。専門医はいるのに内科医がいないのがその理由で、そうなったのは、医学部卒業後すぐに専門分野の勉強に入ってしまったからです。たとえば呼吸器内科の先生がいなくなると、喘息や肺炎の患者さんは診ない病院になってしまいます。徳洲会の病院がそうならないのは、医師の少ないグループ施設でも、内科医が総合内科医として活躍しているためでしょう。

徳洲会グループの中規模病院では研修医の数も少なく、後期研修の受け皿としての機能も十分に果たしているとはいえません。私はこうした病院の研修医をグループ全体で指導するため、後期研修を実施する「総合内科グループ」という構想を温めているところです。総合内科という言葉は、最近になって使われるようになりましたが、臓器や疾患を限定せず全てに対応する診療科のことです。幅広い診療ができ、複数の疾患のある患者さんを的確に診断・治療し、難しいケースでも専門医やコメディカルと連携して管理し、救急にも十分に対応します。

中規模病院群による「総合内科グループ」に入る後期研修医は、それらの病院をローテーションし、さらに大規模病院の協力を得てさまざまな症例をこなしていきます。

後期研修の最後の1年は、チーフレジデントとして病院の全ての内科患者さんを診ながら、後輩の研修医たちの教育も担当することになります。後期研修で、さらに循環器内科や呼吸器内科などの内科系各分野に集中すれば、その分野の専門医資格を取得することができます。断らない医療の実現には、総合内科医が病院の内科を支えるようにしなければならないと思います。

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